| **Yamai な日記 (2002年5〜8月)**
2002年5月1日(水)
6週間ぶりに病院へ行ってきた。コンビニ以外の外出も6週間ぶり。
外出する気になるところまでの回復にはたどり着いたようだ。
しかし外へ出たらすぐに帰りたくて仕方なくなった。
街の喧騒がうるさい。人がいることが理屈なく苦しい。
まだまだダメだなぁと痛感…。しかし頑張って病院へ。
GW中だったせいか診察待ちの人が少なかった。
普段は2時間待ち覚悟なのに、今日は40分で順番が回ってきた。
ただそのことよりも喜ばしかったのは、
診察時間を沢山とってもらえたこと。
通常は大体10分程度なのに、今日は40分は話したと思う。
だから医師とゆっくり色んな話ができた。
診察室に入ってからたった2分で、私の目から涙がポロポロ…(苦笑)。
それはきっと真正面から
病気と向き合い闘わなければならない場だったから。
医「こんにちは。久しぶりだね。
しばらく来ないからどうしたのかなって思っていたんだよ」
私「すいません。また調子を崩してしまって来れませんでした。
外出も前回の通院の時以来で。
ただ今回はいつもみたいに何の理由もなく悪くなったんじゃなく、
きっかけになった原因があると感じてます」
(それは前回の診察時に、病気のことで自分にとっては
かなり辛い言葉・現実を言われたのです。説明は大変なので省略)
私「それまでは自分の中で、病院に通って薬を飲むことの意味や、
治療の進むべき方向が見えていたのに、
それが全く見えなくなってしまって、いい意味であっけらかんと
『良くなるだろう』って思えていたものが、そう思えなくなってしまって」
医「それは〜〜・・・・・・」
(医師の言いたかったことと、
私が受け取った意味あいが微妙に違っていて、
フォローの説明が始まりました。それにてちょっと安心)
私「両親が病院や薬を反対しているからというのもあるんですが、
母から『薬飲むようになってから
確かに鬱が軽減したのかもしれないけど
逆に調子いい部分までなくなっちゃったんじゃないの」って言われて
自分でもそう感じる部分はあったんです。
前は鬱も酷かったけど、その後調子がいい時もそれなりに続いて、
バイトもできたし、友達と遊んだりもできて。
でも今はやっと鬱から抜け出したと思っても、
やっぱり何かダルさがあったり、すぐまた鬱状態に逆戻りしちゃって、
やりたいことが全然できなくて、ずっと辛いまんまって感覚なんです」
医「そうだね。ただもしかしたら前の状態は
元気すぎたのかもしれないよ」
私「う〜ん…。私やりたいこと全部できるようになりたいとか
思ってるわけじゃなくて、声を出すことだったり、
外に出ることだったり、洗顔とか着替えとかの
普通に出来て当たり前だった、
まさか出来なくなるとは思わなかったことを、
また自然に出来るようになりたいんです。
普通だったら遊んだり好きなことをしてストレス発散するのに
今の私は好きなことする気力さえなくて、辛いとか苦しいばっかり。
そしたらなんかもう『あーあ…』とかってなっちゃいました」
医「鬱の症状だもんね。うんうん」
私「私、数ヶ月とかの短いスパンじゃなく、2年3年っていう長いスパンで
治療してこうって思ってはいるんです。
でも通院して薬飲み始めて8ヶ月経って、
なんか少しでも手応えみたいなもの感じられたらいいなぁとか思うし」
医「そうだよね。薬の効果がイマイチ発揮されてないことは、
ホント謝らなきゃいけないって思ってるんだよね。ゴメンネ」
私「あっ、そんな。いえ。
先生、躁鬱病の人は普通より上の状態(軽躁)の時を
普通の状態だと感じていたりするって言っていたじゃないですか。
私、自分の『普通』が何処なのか考えてみたんですけど
もし自分が想像してる『普通』が軽躁状態なのだとしたら、
本当の『普通』はもっと下にあるわけで、外に出れない訳じゃないけど
ダルイなぁって状態が普通なんだとしたら
これから先、生きてくの物凄く大変だなぁって。
私、はしゃいで騒ぐのが好きだったのに、
もうそこまでの元気は戻ってこないのかなぁ、
私の楽しみ奪われちゃうのかなぁとか
『明るくて元気だね』って言われてた部分がもし性格なんじゃなくて
軽躁状態だったっていう病気からきてたんだとしたら、
本来の私って一体どういう人間なんだろう?とか、
なんかそういうものが一気にドカンときちゃいました」
医「色んなことを考えちゃってるねぇ…。
今はそういう部分が調子悪くさせてる要因になっていそうだね。
『普通』の状態を見極めるのはとても難しいんだよ。
もともとの性格だって関わってくるし、
病気じゃない人だって君くらいの年代の人は
「自分って一体なんだろう?」なんていう悩みを持ってる人は
少なくないよね」
私「確かに私、調子が良くなるとやりたいことが沢山出てきます。
でもそれは、鬱のときにできなかったから色々やりたくなるのか
躁状態だからそうなるのか分からないんです」
医「それはね分からない。君の躁はあったとしても小さいものだから
周りだって気付かない程度だよね。
躁鬱の人は自覚できないことが病気なんだから」
私「あぁ、そうですよね。
それになんか私、打たれ弱くなった気がするんですよ…」
医「それは今、鬱の方の場所にいるからかもしれないよ。
もし躁側の方にいたらバシバシ跳ね除けちゃってるかもしれない」
私「あっ。それは言えますね(笑)。
そうそう。先生。私って躁状態って殆どないじゃないですか。
それでこの間知り合いの人に、
『鬱病の再発を繰り返してるのとは違うの?』
って聞かれたんですよ。
それで、調子を崩す時に原因とかきっかけがないから
私は躁鬱病なんじゃないかなって言ったんですけど、あってますか?
鬱病と私みたいに躁があまりない躁鬱病の違いって
何なんですか?」
医「まぁそれも間違いではないね」
それから医師は医学書を取り出し、
それを私に見せながら私の病気について説明を始めてくれた。
医「鬱病は一般的に40、50代の人が多くて、
家から出られないほどの鬱になる人は、
君くらいの若い人では少ない。
それに鬱が始まるきっかけ・エビソードが無いでしょ?
ストレスが関係なくて、じゃぁ性格はどうかというと、
いたってノーマルっていう印象を持ってる。
それで僕は双極性気分障害、つまり理解しやすい言葉でいうと
躁鬱病と診断してるわけ。それで君は躁が軽いU型。
それに1年に4回以上病気を繰り返す『ラピッドサイクラー』だね」
** 補足 **
私「あっ、そうなんですね。ありがとうございました。
あの先生、躁鬱病の人にとって
抗鬱剤は補助的にしか使わないってことは
分かってるんですけど、私は躁鬱病でも鬱が基本としてあるし
鬱から脱出したいんで、抗鬱剤を処方してもらえませんか?」
医「そうだね…。抗鬱剤使ってみようか。
ただ注意しないといけない点は、躁鬱病の人が抗鬱剤を服用すると
波のサイクルが短くなって病気が悪化してしまうことがあるんだ。
もちろんその可能性は多くないんだけど、そういう事例がある以上
その可能性がないとは言い切れないからね。
君の場合はもう十分にサイクル短いんだから、
これ以上は困るでしょ?(笑)」
私「困りますよー(笑)」
医「あとこれはもう知っていると思うけど、
抗鬱剤をずっと飲み続けていると躁転する危険性が高いから
調子が良くなったかなぁと思ったら、服用は止めるように」
私「はい。分かりました。
先生、前は抗鬱剤パキシルでしたけど、
副作用辛かったんで、今度は違うのがいいです」
医「そうだね。違うのにしてみようか。じゃぁ今回はデプロメール。
それでしばらく薬飲んでないし、
バレリンは止めてリーマス1本でいってみましょう」
私「あっ、はい。
あと先生、ちょっと疑問に思ったんですけど、
サイクルが長い人って調子いい期間が長い分、
鬱に入ったときその期間も長いんですか?」
医「いや、そうじゃないよ。
病状が現れるまでの期間が長いって意味だよ。
つまり普通に暮らせる期間が長いってこと」
私「あぁ、なるほど。長いサイクルになったら
鬱が1年とかになるのかなぁって思って、
そしたらそれも結構イヤだなぁって思ったから(笑)。
あと先生ちょっとお願いがあるんですけど、
またもし2週間後に来れなくなった時のために
4週間分の薬、処方してもらえませんか?」
医「う〜ん。それはどうしようかなぁ」
私「薬を切らすと作用も切れて、
また一から始めないといけないじゃないですか。
調子がイマイチの時って、プレッシャーなんですよね。それが。
絶対行かなきゃって。手元に余分にあると安心なんですよ」
医「その気持ちはよーく分かるよ。う〜ん、しょうがないなぁ。
じゃぁ今回は特別に4週間分出すけど、
ちゃんと2週間ごとに来るんだよ」
私「はい。それはもちろん分かってます。ありがとうございます」
医「1ヶ月半も来なかった人に普通はこんなことしないんだからね」
私「アハッ(笑)」
こういう風に主治医は私の意見もちゃんと聞いてくれるし、
説明もしてくれるし、とても満足している。
始めの30分はボロボロ泣きながら話していたけれど、
最後の10分はクスッと笑えるようにまでなっていた。
医師は私が泣いていてもいつもマイペース。
自分が面白いときは1人で笑うし、
私の暗いオーラを全然受け付けない。
精神科医なんだから当たり前と言ってしまえばそれまでだけど、
主治医と楽に話せるというのは、凄くいいことだと思ってる。
ただ私は鬱でこんなに苦しんでるのに、
抗鬱剤の服用が病気を悪化させるかもしれないなんて
皮肉な話だなーって思った。
今日1日、病院に行くことだけで、外に出ることだけで、
こんなにつまずいてる自分が情けないと思った。
でも今日の出来事をある人が「頑張ったね」って言ってくれて
この言葉をもらったとき、心が解放されていくのが自分で分かった。
私は「頑張って!」や「大変だね。辛いね」じゃなく
「頑張ったね。頑張ってるね」、この言葉が欲しいんだなぁって実感した。
ここ1ヶ月ほどは「病気もうヤダー」な思いが先行していたけど、
また「腐ってたまるかコノヤロー」精神で闘っていこうと思う。
2002年6月13日(木)
5月の20日頃からイイ感じに調子が良くなってきて、
外出できるようになりました。
良くなりだした頃は、1日1日上向きになってることを実感できたほど。
始めの頃はまだ体が重くて、
おばあちゃんに抜かれるようなスピードでしか歩けなかったけれど、
日に日にサクサク歩けるようになりました。
体力の問題も無くはないと思うけれど、体の重さ・ダルさの軽減によって
サクサク歩けるようになっていったと感じています。
躁鬱病の性質である自然現象で上向きになったのか、
薬が効いたのか最初は分かりませんでした。
でも今は薬が効いたからだという気がしてます。
何故なら、今までの調子の上がり方と違うからです。
前ほど体が軽くないんです。
これって一見よくないことに聞こえそうだけど、
昔はやっぱり上がりすぎて軽躁になってた気がします。
動きすぎていた=動けすぎていたって今と比べるとそう思います。
躁鬱病は躁の時に動きすぎるから、その後に鬱がやってくるって言うし。
何はともあれ、調子が良くなって嬉しいです。
外を歩いてるだけで喜びを感じます。外出できるってホント幸せです!
この頃から、リーマスの副作用による
手の震えが気になるほど出ていました。
友達とラーメン屋に行った時、レンゲを持つ手が震えるのが分かって、
密かにショックを受けていました。
スープがこぼれるほどは酷くなかったけれど、
もしそんなことが起きていたら泣いていたかもしれません。
いや、嘘じゃなくてホントホント。
相手に指摘される前に、自分から言ってしまいたいと思って
店を出た後、彼に薬の副作用で手が震えることを伝えました。
そしたら彼は「俺もさぁ、何でか分からないけど
右手がたまに震えるんだよね」と、
何とも絶妙な言葉を返してくれました。
変に意識されないのって楽ですよね。
2002年6月26日(水)
今日は通院日。今日の話の前に、前回の診察時の話を書こう。
リーマスの副作用である手の震えが気になると私が申し出ると、
医師は私に簡単な検査をしてきた。
すると「あぁ、そうだね。震えちょっと出ちゃってるね」と私に言い
それを抑える薬として「リボトリール」を処方された。
確かに手の震えは治まった。しかしそれ以上の悪状態が待っていた!
事前に「眠気が出るかもしれない」と言われていたが、
眠気どころの話じゃない。
体に力が入らなくてとにかくフラフラする。
床に座っていて手を付いて立ち上がろうとした時、手に力が入らなくて
顎を床に思いっきりぶつけた時には「あぁ、こりゃダメだ」って思った。
両親からも、「この薬は止めなさい!!」と言われ
姉の経験から、もともと薬に対して多大な抵抗感を持っている母は、
「こんな薬を出した先生に抗議の電話しないと!」とまで言い出す始末。
病院に電話して主治医に現状を伝え、薬を減らすことの許可を得た。
しかし減らしても改善する気配が見られなかったので、
飲むのを止めた。そしたら徐々に元に戻り、いい状態へと戻れた。
そして今日、主治医にこの流れを話し、
飲むのを止めても手の震えは今のところ出ていないことを伝えた。
そして当然の如く、その薬「リボトリール」の処方は終了。
体調不良の大元の原因である躁鬱病の症状は
今のところ治まっているので、
今はとてもイイ感じだ。何をしている訳じゃなくても、
苦しくないから毎日がホントに楽しい。
薬の話の中で主治医が
「デプロメール(抗鬱剤)をいつか止めないととは思っているんだけど」
と、私に質問を投げかける形で言ってきた。
躁鬱病の治療の難しい所は、抗鬱剤が躁転(躁の症状が現れる)を
引き起こす可能性がけっこう高いという点だ。
だから私は今、気分安定薬のリーマスと、
抗鬱剤のデプロメールを服用して
症状が安定しているけど、安定しているからといって
薬を変えなくていいというわけにはいかないのだ。
私「今ほんと久しぶりにイイ感じなんです。
だから抗鬱剤を止めてまた鬱になるのは怖いです」
医「どん底経験してるもんね」
私「でも服用し続けて躁転するのはもっと怖いです」
主治医と相談した結果、
まだ減らさないで現状のままでいくことになった。
主治医とは診察中、色んな話をする。今日は話の中でこう言われた。
「君みたいに薬や病気の知識を持ってる人は、
僕の患者の中では珍しいよ。
まぁ確かに今ではインターネットで簡単に情報は入ってくるけれど。
君はちゃんと自分の病気に対していい意味で理解してるし、
自分の状態をしっかり把握できてもいる。
理解できる人間だから、僕も君には色んなことを話しているよね。
言って分かる人もいれば、何度言っても分からない人もいるんだ。
こんなこと言っちゃアレなんだけど、そこには知能も関係してくるからね」
あれ?私もしかして褒められた???って結構嬉しかったりする。
その時にインターネットで情報が得られる
メリットとデメリットの話なんかもした。
私「私は最近、病気について調べるの止めたんですよ。凹むから(笑)」
医「そういう部分でも、君はちゃんと上手くコントロールしてるんだろうね」
やっぱり褒められた? (*´∀`)>エヘッ
2002年7月10日(水)
今日は通院日だったので、診察日記を書き残そう。
もちろん自分のために。
外出にあたって、コンタクトは装着できたけど化粧はしなかった。
(↑これ、私にとっては状態の指標になってるんです、笑)
まず7日に書いた「診察待ちの時間をどう感じるか」について。
今日の待ち時間は1時間ほどだったんだけど、苦に感じなかった。
やっぱりなぁ…って感じ。でも「まぁいっか」と片付ける。
鬱なのはイヤだけど、ヒマに感じるのもイヤだからねぇ。
そして診察。
医「こんにちは。調子はどう?」
私「・・・ダメです。(>_< )(
>_<) ブンブン(←首を振る)」
医「あらららら〜」
私「先月の終わり頃から少しおかしくなり始めて、
今月の2日に遊ぶ予定があったんですが、
その日はわりと普通に遊べました。
でもやっぱりその日の夜も少し変だった記憶があります。
最初は『また鬱が再発した』って
自分から思わない方がいいと思ったし、
『疲れが溜まっただけかな?』って経過をみていました。
でも出来なくなることが増えていくし、
起きていられず寝ている時間もだんだん増えていって、
日に日に調子が悪くなっていくのが分かったんです。
ただ、これは昨日母とも話したんですが、
今までは鬱が再発した時って、もっと一気にガクンと落ちたんです。
それに比べて今回は、少しずつ少しずつって感じなんです。
それと今までは鬱になると必ず過食も始まりました。
でも今回は過食がないんです。
だからリーマスは効いてるんじゃないかなぁとは思うんですよ」
医「なるほどね。何度も説明してるけど、
躁鬱病の薬は波を小さくする薬だから、
確かにリーマスは効いてそうだね。
この薬は単純に量を増やせばいいっていう薬じゃないし、
前に血中濃度測ったけど、有効範囲内のだいぶ上の方だから
これ以上量は増やさない方がいいもんね。
・・・じゃあ、あの薬いってみますか?
いつかは使う時が来ると思っていたものだしね」
私「(クスッ)はい」
今までの経緯から「あの薬」で何の薬か分かったのです。
主治医は処方箋に「テグレトール」と書き始めた。
躁鬱病の治療薬の基本は「リーマス」だ。
でも、ラピッドサイクラーには効果が乏しいというデータがある。
(私はラピッドサイクラー)
そしてテグレトール(成分名:カルバマゼピン)は、
ラピッドサイクラーに有効だというデータがあるのだ。
躁鬱病の基本薬=気分安定薬は、そんなに種類が多くない。
炭酸リチウム(薬名:リーマスなど)、
バルプロ酸ナトリウム(薬名:デパケンなど)
カルバマゼピン(薬名:テグレトールなど)、この3つがメジャーな薬。
そして少し下がった4番目に、
クロナゼパム(薬名:リボトリールなど)があるようだ。
私はこの4種類のうちでまだ飲んでいないのは
今日処方されたテグレトールだけ。
密かにちょっと期待している。
期待しすぎてはいないけれど、少し期待してるのだ(笑)。
医「この薬(テグレトール)は眠気が出るかもしれない。
あとアレルギーを起こして、じんましんが出る人がいるんだよね。
そうなると飲めなくなるから、
アレルギーが出ないようにお祈りしとこう。
(主治医、手を合わせて祈り始める)」
私「あっ、私もお祈りします。(続いて私も祈り始める)」
医「デプロメール(抗鬱剤)はどうする? 増やす?」
私「う〜ん…。先生、決めて下さい」
医「うんうん。決めてあげるね。
じゃあ今の量は最小量って感じだから倍に増やそう。
抗鬱剤による躁転についてだけど、僕も文献とか読んだりしていて、
SSRI なんかはやはり飲まないよりは
飲んだ方がいいって感じがあるみたいだから」
私「はい。分かりました」
ということで、テグレトール300mg と、
デプロメール50mg →100mg が追加された。
下を向いてる私に向かって
医「でも、こうやって通院できてるし、
もしかしたら今回は今の症状がもう鬱の底かもしれないよ。
これからまた浮上していくかもしれない。
そう考えた方がいいでしょ?」
私「そうですね…。はい…。
私、『何でこんな病気になっちゃったんだろう』って
思ったりはしないんです。でも毎回再発する度に
挫折感を感じるんですよ。それが結構辛いです。
医「あのね和希ちゃん。これは勝ち負けじゃないからね」
私「うーん、何ていうか、調子いい時が短すぎますよぉ。
私とにかくバイトしたいんです。
でもまたバイトできずに終わっちゃった…」
医「もともとサイクルが短いタイプなんだし。ねっ」
主治医は「自分を責める必要はないよ」ってことを
言ってくれたんだと思う。
それに何を言った時かは忘れたけど、
主治医の言葉に私がクスクスって笑ったら、
「そうやって笑えるんだし、大丈夫だよ」と、安心させてくれた。
医「薬はどうしようか。1週間分にして来週も来る?」
私「いや、2週間分がいいです」
医「そうだね。じゃあいつも通り2週間分処方するけど、
何かあったら来週も来てくれていいし。
来るのが難しいなら電話でもいいし」
私「はい、そうします。ありがとうございます」
診察室を出て時計をふと見てみると、診察時間は10分もなかった。
私はそのことに驚いた。
何故ならもっと沢山の時間を費やした気がしていたから。
短い時間でも十分に充実した診察が受けられるんだなぁと思った。
それはきっと、医師との信頼関係が出来てきたからだろうなとも思った。
2002年7月19日(金)〜30日(火)
≪19日(金)≫
出かける予定があったので、昼過ぎから身支度を始める。
一昨日もそうだったが、やはり体がダルく動くのがしんどい。
ただ普段と違ったのは頭痛があったこと。それに嘔吐もしてしまった。
それでも無理して外出する。まぁそれなりに何とか過ごせた。
ただ、家に帰ってからはグッタリ。それでもネットしたりしていた。
何だか顔が熱いなぁと感じて熱を計ってみたら、38度3分。あらら。
「これは躁鬱病の鬱によるダルさじゃなくて、風邪を引いたみたいだ」
と思って風邪薬を飲み就寝。
≪20日(土)≫
朝起きるとやっぱり頭痛がする。
熱を計ったら39度。下がるどころか上がってしまった…(汗)。
1日中、寝て過ごす。食欲は著しく低下。水分を取るのも苦痛に。
夜、仕事から帰ってきた母が私を見て
「熱が下がらないなんて変ねぇ。あら?体に発疹でてるじゃないの」と。
言われてみれば確かに発疹が出ていた。えっ?風邪じゃないの?
母が「これは風疹かもしれない」と言う。
「あれ?わたし風疹やってないっけ?」と思ったけど、
とにかく風邪ではなさそうだ。
深夜、夕飯として頑張って食べたオレンジゼリーを嘔吐。辛い…。
≪21日(日)≫
相変わらず症状はよくならない。
ひたすら「ヒーヒー」言いながら寝るのみ。
何か口に入れた方がいいんだろうなぁとは思いつつ、
何も食べたくないし、飲みたくもないので口にしなかった。
家に誰もいないから、自分で取りに行かなきゃいけないのも辛かったし、
口に入れたら吐いてしまいそうで、それが少し怖くもあった。
発疹は更に悪化していた。
見てて気持ち悪いくらい。参考資料
20時過ぎ頃、仕事から両親が帰宅。
苦しがってる私を見て、「病院行きたい?」と母が聞いてきた。
日曜日の夜ということがネックだったし私は少し考えた。
「明日まで我慢した方がいいかな。
でもどうせ明日も両親は仕事だし、大して変わらないのかな。
風疹だったら何日か寝てれば治る気もするし。でも苦しいぃ…」
それに私には1つ気になることがあった。
10日の日記に書いてあるように、
私はテグレトールを新たに服用し始めていて、
医師から「副作用で発疹がでる可能性がある」と聞いていたからだ。
もしそうなら病院に行った方がいいと思ったし、
その判断はやはり医師に委ねるしかなかった。
私は「病院行く」と母に伝えた。薬のことも伝えた。
そして母は、「何科に行けばいいのか…」と考え出し、
内科と精神科が両方ある病院に行けばいいんじゃないか、
という話になった。でも両方ある病院ってどこ?
それに今は日曜日の夜。さぁ、困った困った。
繋がらないと確信しつつも、
母は最初に私が通院しているクリニックに電話した。
案の定、誰も出ない。
そんな時、姉が帰宅。姉はさらっとこう言った。
「救急車呼ぶのが1番いいんじゃない?」
「えっ!?」 一瞬自分の耳を疑った。
でも姉の「日曜の夜なんだし救急車呼んで
適切な病院に連れてってもらうのが1番簡単でいいんじゃないの」
という言葉は、確かに納得させられるものだった。
「でも救急車って大袈裟すぎるよ。救急車は恥ずかしいよ」
と思ったけれど、最後はやっぱり救急車呼びました(恥)。
「サイレン鳴らさないで来て下さい」と言ったら、
「近くまで行けば消しますから」と言われた。
でも思いっきり聞こえて、かなり恥ずかしかった…。
近所の人が出てくることはなかったけどね。ホッ。
しかし救急車来るのってホントに速い!
テグレトールだけじゃなく、
躁鬱病で飲んでる薬は一応全部持っていった。
救急隊員の方に事情を説明。
1人は優しい感じだったけど、もう1人はちょっと怖い感じでした。
でも優しい方の隊員さんと主に接していたからよかったよかった。
隊員さんは、「もし薬の副作用だとしても、
この症状を治すには内科でいいでしょう」と言っていた。
でも「これは麻疹っぽいね」とも言っていた。
母が「(私が)風疹・麻疹はやったことあるの?」と聞かれて
「やったような気はするんですけど、スイマセン。
はっきり覚えてないんです」と答えたら、
「ダメだよー。それくらい覚えてなきゃ。しかも女の子なんだし」
って叱られていたのには思わず笑った。
加えて、私が飲まず食わずで過ごしていたことに対して
「ダメだよー。こういう時こそ食べさせなきゃ。
どんどん力が無くなっちゃうでしょう?
水分だって取らせないと。脱水症状起こしたらどうするの」
って、またまた叱られてた。
そういう風に親って叱られちゃうんだなぁ。
もう子供は25歳だっていうのに(笑)。
そして近くの総合病院に運ばれた。
何科の医師だか分からないけれど、診察を受ける。
医師も看護婦さんも、風疹か麻疹だろうと言っていた。
「大人がかかる麻疹って、結構大変って聞くよなぁ」と、少し落ち込む。
そして検査のために採血。
結果の半分は今日中に出るけれど(何の結果かは知らない)
風疹・麻疹の抗体反応(?)の結果が出るには1〜2週間かかるそうだ。
つまり1〜2週間後までは、
これが風疹・麻疹なのかはっきりしないということ。
「治ってそうな時期に分かるなんて、何だかなぁ…」
そして点滴をうけた。生まれて初めての点滴。
「採血したのと同じ針で点滴できるんだぁ」と小さく感動。
痛いの1回ですむからねー。
と思ったら、30分後に看護婦さん再び登場。
「汗かいて、水分何もとってなかったからかな。
血がちょっとドロドロしちゃってて検査できなかったから、
もう1度採血させてね」と、逆の手に注射をプスリ。
結局、2度痛かったです…。
その時、「入院していってもいいと思うけど、どうする?
ウィルス感染だから大部屋は無理で個室になるけれど」と言われた。
母は「入院していけば?」って言っていたけれど、
入院なんてイヤだー。それに個室なんてお金かかりそー。
親に迷惑かけちゃうー。ってことで、「家に帰りたいです」と即答。
すると、「そうね。家がいいわよね」と優しい返答が。
この日に担当(?)してくれた看護婦さん。
仕事もテキパキしてて、接しやすくて優しくて素敵だった。
ふと名札を見てみると、「看護長」と書いてあって大いに納得。
もし私が下っ端看護婦だったら、
見習いたい人物だろうなって思ったから。
2時間の点滴が終わり、医師から説明を受けた際、
「風疹か麻疹だとは思うけど、薬の副作用も併発してる可能性もあるから
一応、症状が落ち着くまでその薬を飲むのはやめましょう」と言われた。
ということで、テグレトールを飲むのは中止する。
薬をもらい帰宅。家に着いたのは1時過ぎだった。
救急外来(?)だと薬が1日分しか出せないらしく、
明日また病院へ行かなくちゃいけない。あーあ…。
≪22日(月)≫
昨日は「病院へは1人で頑張って行ってこい」と言っていた母だけど、
わざわざ仕事を休んで家にいてくれた。
それをいいことに「病院お母さんが行ってきてー」とワガママ。
母、ワガママ聞き入れ行って来てくれる。
しかーし、予想外の展開が。
病院から帰ってきた母の口から「本人が行かなくちゃダメだってよ。
診察受けないと薬でないんだって。救急で行ったのなら尚更ダメだって
受付の人にピシャリと言われちゃったわよ。行き損だわ」との言葉が。
(゜〇゜;)ゲッ & ( ̄□ ̄;)ガーン
病人だった為に母親は少し寛容だった。ホッ。
夕方、解熱剤の効果で少しは楽になってはいたが、
重たい体を引きずる形で母と病院へ。
内科に行くなんて凄く久しぶりだった。
幼稚園か小学校低学年ぶりなんじゃないかなぁ?
小学4年生の時に41度台の熱を出した時にも
病院へ行かずに家で寝ただけで治した記憶があるし(笑)。
内科の医師は女医さんだった。
「お腹と背中ちょっと見せて下さいね」の言葉で上半身裸に。
ブラジャーするのも億劫だったからその時はノーブラ。
けっこう恥ずかしかったけど、女医さんだからよかった。
内科の先生も「これは薬疹じゃなく、風疹か麻疹だと思います」と言った。
「ただ白血球の数が少ないのが気になりますね。
ウィルス感染によって白血球の数が減るのはよくあることですが、
それにしても少なすぎるので、
もう1度血液検査しましょう」とも言われた。
そして「今の時間、隣りで皮膚科もやってるから、
皮膚科の先生にも見てもらいましょうか。
その間に検査結果が出るでしょうし」とのこと。
まずは検査室へ行き採血。その後、皮膚科で診察した。
皮膚科の医師は若くてカッコよかった。
そこでもやはり「お腹ちょっと見せて下さい」との言葉。
えっ。どうしよう。恥ずかしい。(/∇\)
キャッ
医「下着つけたままでいいですから」
私「あっ、今日してないんです…」
医「そうか。ちょっとタオル持ってきてあげて」
「助かった」と思った。その心遣いに感謝。素敵。ホッ。
ということで、カッコイイ先生に胸見られなくてすみました。
皮膚科でも内科と全く同じようなことを言われた。
「風疹か麻疹でしょう。白血球が少ないなぁ。ちょっと血液検査しようか」
最後の言葉に (゚ロ゚;)エッ
私「さっき採血したばかりなんですけど…。(昨日も2回)←心の中の声」
医「あっ、そう。またやるのはカワイソウだもんね。
今から検査項目増やせるかなぁ」
すると看護婦さんが内科のカルテ(?)を持ってくる。
医「昨日の検査の時に、抗体反応も検査項目にチェック入ってるね。
じゃあ大丈夫だ。また様子見て数日後に皮膚科の方へ来て下さい」
母「内科じゃなくて皮膚科に来ればいいんですか?」
医「そうですね。皮膚科の方へ来て下さっていいと思います」
待合室で待ち、再び内科へ。
医「検査結果が出ましたが、白血球の数がまた減ってますね。
通常は4000ほどなんですが、
昨日は1400、今日は1300しか無いんですよ。
もし更に減るようなことがあれば、
無菌室での隔離入院をした方がいいと思います。
うっそ〜ん。まさかの展開。(゜ロ゜;)ギョェ
医「抵抗力が下がっているので、肺炎などの合併症が怖いです。
外出はしない方がいいですね。
もし外出する場合は必ずマスクをして下さい。
外から帰ってきた人間が話し掛ける時は、
うがいをしてからという風に、
極力、菌を近づけないようにして下さい。
お刺身などの生ものを食べるのも避けた方がいいですね。
では木曜日にまたこちらへ来て下さい」
母「さっき皮膚科の方では、次も皮膚科へ来るように言われたんですが」
医「う〜ん…。次も内科でいいと思います」
両方で歓迎してくれるなんて嬉しいわぁ(違)。
診察を終えて会計待ちをしている時、
看護婦さんが小走りにやって来た。
看「さっき言い忘れてしまったけど、
次に病院へ来る時には必ずマスクをしてきてね。
病院は菌が沢山ある場所だから余計危険なのよ」
わざわざ言いに来てくれるなんて、
ホントに看護婦さんって優しいなぁ(しみじみ)。
そして薬局で薬を受け取り、コンビニでマスクを購入し帰宅。
≪23日(火)≫
昨日、解熱剤を処方されたが、
「熱が出た時には飲んで下さい」という頓服の形で出されたので、
「熱下がって落ち着いて→熱上がって苦しんで
→また下がって落ち着いて」の繰り返しだった。
今日は両親の仕事が休みの日で、母が1日看病してくれた。
しかし、母と格闘する1日でもあった。
診察を受けた医師全員から「食事と水分を取るように」と言われたため
母はお粥や果物などを氷水と一緒に3食きっちり持ってきた。
熱が下がって落ち着いている時には、そう頑張らなくても食べられたが、
調子が悪い時にはもう、食べたくなくてしょうがなくて、
私「食べるのイヤ〜」 母「食べなさい」 私「イヤだ〜」 の言い争い。
母は「今度はもう入院させるわよ。
入院したら無理にでも食べなきゃいけないんだから」と最後には言った。
水1口飲むのだって大変だったのだから、
固形物を口にするのはもう拷問状態。辛かった…(涙)。
≪24日(水)≫
両親は仕事でいないので、私1人だった。
朝、母がおじやを用意してくれていたが…食べなかった(汗)。
食べた方がいいと分かりつつ、楽な方を選択しちゃいました。
昼過ぎに水分くらいは取ろうと、ポカリスエットを飲んでみる。
10分後、全て嘔吐(涙)。やっぱり何も口にしたくなくなる。
この病気になって物凄く感じたのは、
目に見える病気だとやはり周りが優しいということ。
鬱でダルくて動けなくても、部屋まで食事を持ってきてくれる訳がないし、
使い終わった食器を洗ってくれる訳もない。
それどころか、そんなことを頼んだら怒られる気もする。
それが熱でダウンしてると、そういうワガママが当然のように許される。
氷枕を何度も作り直してくれたし、「なんて優しいんだ!」って思った。
母から仕事帰りに「何食べたい?何飲みたい?」という電話もきた。
数日間、凄く辛かったけど、でもちょっと居心地もよかった(笑)。
今日は精神科の通院日だったので主治医に電話した。
ホントはもっと早く連絡とりたかったけれど、
私の主治医は週2日しか病院にいないのです。
私「先生、なんか麻疹にかかっちゃったみたいで
今日は病院に行けません」
医「あらら。それは大変だねぇ。薬の方はまだある?」
私「はい。あと1週間分は余分にあるので大丈夫です。
それと体に発疹が出ていて、
テグレトールの副作用の可能性もあるかと思って
診察を受けた時に薬のことを話したら、
『風疹か麻疹だとは思うけど、
薬の副作用も併発してる可能性もあるから
一応、症状が落ち着くまでその薬を飲むのはやめましょう』
って言われたので、今は飲んでいません。
勝手に飲むの止めちゃってよかったですか?」
医「うんうん。飲むの中止していいよ。熱は出てるのかな?」
私「はい」
医「他の薬は熱があっても飲んで大丈夫だからね」
私「あっ、そうですか。分かりました」
その時ちょっとビックリした。「熱があったら薬飲むのは危険かも?」
なんていう発想が私の頭にはなかったからだ。
結果として問題なかったからいいけど、
薬って色んなトコで気を使わないとなんだなー。
テグレトール以外の薬は飲んでいたけど、
でもちゃんと1日3回飲んでいたわけでもなかった。
だって水1口飲むのも辛かったんですよ?
薬飲むのはめちゃくちゃ苦痛。だから結構サボっちゃった(汗)。
それまで薬を飲むことは日課として定着しつつあったけど、
こういう時に苦労するんだなぁって少し凹む。
これが一生続くのかぁと更に凹む。
≪25日(木)≫
来院するように言われた日だったので、
指示通りマスクをして、車で病院まで送ってもらう。
すると母が父に「私午後からでも大丈夫よね?」と言い、
私に付き添って病院へ。(両親で自営業してます)
簡単に診察、そして今日も採血(4回目)。
もし白血球の数値が更に下がっていたら入院の危機!
結果を聞くまでちょっと緊張してた。
結果は…「数値上がりましたね」、ということでセーフ。ホッ。
熱の方も下がり始めていたし、薬も処方されなかった。
回復に向かえそうだったからちょっと聞いてみた。
私「外出はいつからしてもいいですか?」
医「そうですね。あと1週間ぐらいしたらかな」
えっ!? あと1週間も外出しちゃダメなの? 心の中で落胆…。
会計を済まし、タクシーに乗る。
私は家の前で降り、母は仕事場へ向かうために駅まで乗っていった。
食欲が少し出てきたので、コンビニで冷やし中華を買う。
でも3分の1しか食べられなかった。
ミニ冷やし中華を買えばよかったなぁと少し後悔(笑)。
≪26日(金)〜27日(土)≫
まだ微熱があったり、吐き気がしたりしたけれど、
だいぶ楽に過ごせるようになった。
≪28日(日)〜29日(月)≫
熱も下がり、吐き気もなく、発疹もだいぶ消えてきた。
かなり回復。(^-^)v
≪30日(火)≫
仕事休みで母は家にいたけれど、元気になった私は1人で病院へ。
精神科のクリニックの方で診察待ちには慣れているけれど、
ここが内科だからか、はたまた総合病院だからか、
同じ「待つ」という行為でも、待ちやすさが違うと感じた。
ここは看護婦さんやら患者さんやらが、
パタパタ動き回っていてせわしい。
それに比べて精神科の方は、静かで待ちやすい。
この間一緒に来たとき、母はこんなことをボソっと言った。
「変な話だけど、病院は健康な人じゃなきゃ来れないわね」
それ一理あるなぁと思った。うん。
今日も簡単に診察のあと採血(5回目)。
白血球は正常値に戻ったとのこと。一安心。
そして1番最初に検査した、
風疹・麻疹の抗体反応の検査結果を聞いた。
医「この結果からすると、風疹でも麻疹でもないですねぇ」
はい? 風疹でも麻疹でもないって、じゃあ何だったの???(汗)
医「ウィルス感染だとは思うんですけど、
風疹や麻疹ではなかったですね。
特定できないウィルス感染はまぁ珍しいことではないですから」
私「風疹と麻疹、両方の抗体が私の体にあったんですか?」
医「そうですね。結果を見る限り昔やったことがあるみたいですね」
私「じゃあ、何かのウィルスに感染して、
その症状が風疹や麻疹に似ていたってことですか?」
医「そういう感じだと思います。
これは薬疹ではないと思うんですよね。
その可能性は低いと思うので」
私「そうですか。私このテグレトールって試してみたい薬なんですけど、
また飲み始めても大丈夫でしょうか?」
医「それは止めておいた方がいいと思います(キッパリ)」
・・・・・・。心の中でアイタタタ。
私「外出はもうしていいですか?」
医「はい。大丈夫ですよ」
ということで完治! わぁいヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノわぁい♪
原因不明ってトコが少し微妙だけど、治ったからいっか(笑)。
もう1度、今日採血した血液で抗体反応検査をするらしく、
10日後くらいに結果を聞きに行かなきゃいけないけれど、
取り敢えずこれにて完結。ながーく感じた11日間だった。
でもホントの完結編は、31日だったりするけどね(笑)。
2002年7月31日(水)
先週、ウィルス感染のために行けなかったので、
今日は3週間ぶりの精神科への通院だった。
週がずれたことで、以前少し仲良くなったSさんと久しぶりに会えた。
Sさんも私はどうしてるかなぁ?って思っていてくれたらしい。
会ったのはSさんの診察後で、
わざわざ処方箋を近くの薬局へ置いてきた後に
戻ってきてくれた。そして10分ほど話した。
Sさんは手を洗わないと気がすまないという強迫神経症な方。
休みがちながらも作業所で働いていることは前に聞いていた。
そして会っていなかった間に、「作業所の近くの喫茶店で、
お昼だけの短い時間だけれどバイトを始めたのよ」って
嬉しそうに言っていて、私も嬉しかった。
「お互いとりあえず元気そうで良かった」という会話でサヨナラ。
楽しい一時を過ごせた。(^-^)
そして診察。
医「お待たせしました。こんにちは。この間は大変だったね」
私「はい。でももう良くなったので大丈夫です。
昨日内科に行った時、外出もしていいって言われましたし」
そしてこの約10日間の出来事を話した。
今日の診察のメインは躁鬱病の症状のことではなく、
3週間前に飲み始めたテグレトールの影響がウィルス感染にあったか?
もしくは直接的な副作用で発疹が出たのではないか?
という話題だった。
主治医のT医師は私の手や首などを見たけれど、
その時には殆ど発疹が消えていたので
発疹自体を見て副作用によるものだったかは判断できなかった。
そしてT医師の目の色が変わったのは、
私が「白血球が少なくなった」ということを伝えた時だった。
私「通常って4000くらいなんですよね?それが1300まで落ちました」
医「あらららら。それは本当に少ないねぇ」
私はその時のT医師のリアクションで、
ホントに危険があったんだなって思った。
それまでは内科で「無菌室に入院」なんて言葉を出されても、
話を大袈裟にしているだけだと、あっけらかんと思っていたからだ。
医「実はテグレトールの副作用に白血球が減るってあるんだよね」
するとT医師は小さな医学書を取り出して私に見せた。
開かれたページには、
テグレトールの副作用一覧が難しい言葉で載っていて、
「ここを見て」と指さされた場所には、
「顆粒球減少」と書いてあった(確か)。
私「これはどういうことなんですか?」
医「うん。簡単に言うと白血球とかリンパ球とかが減っちゃうってこと」
私はそれまでテグレトールの副作用に白血球減少なんてものがあるとは
全く頭になくて、目に見えない副作用って怖いなぁと思った。
医「テグレトールの副作用で白血球が減り、
抵抗力が弱くなったことで、通常なら感染しないウィルスに
感染してしまったって可能性が考えられるよね」
私「あぁ、なるほど」
医「うまい具合につじつまが合っちゃうんだよ。
テグレトールは飲み始めてすぐに
副作用が出るってタイプじゃないし。
(私に異変が起きたのは服用10日後)
麻疹の可能性を考えた時に、抗体反応が出なかったって部分で
つじつまが合わなくなるからねぇ。
う〜ん…、僕が思うに7〜8割はテグレトールが関与してそうだなぁ」
そしてT医師はこう続けた。
医「副作用が出るかどうかを調べる検査はあることにはあるんだ。
でもそれも100%の精度じゃないから意味があるようで無くてね。
もう1度飲んでみて確かめるって方法がない訳じゃないけど、
アレルギー性の副作用は回を追うごとに症状が酷くなるんだ。
だから試すなら入院覚悟だよ。それでもやる?イヤでしょ?」
私「え〜っ!?そんなのイヤですよぉ。勘弁して下さい」
そんな恐ろしいことしたくない! {{
(>_<) }} ブルッ
まぁT医師も冗談で「やる?」って聞いただけだけど。
医「いやぁ、でもホントに申し訳ない。
これは全部あの薬を処方した僕の責任だから」
T医師は何回も謝ってくれた。
こうやって謝ってくれる医師って少ないんじゃないかな?
しかもこれ、T医師が悪い訳じゃないし。謝る必要って全くない。
薬の副作用なんて十人十色で、飲んでみなければ何も分からない。
それこそテグレトールは、私のようなラピッドサイクラーに
効くと言われてる薬なわけで処方は必然だし、
私も飲んでみたい薬だった。
医「僕の患者さんは何故だかこの薬で副作用出ちゃう人が多いんだよ。
だから君に最初から使うことは避けてたんだけどね。ある先生に
『テグレトールって(副作用で)使用できない人多くありませんか?』
って聞いてみたら『10人に1人』なんて言っていて、
そういうものかなぁって思ったりしてさ。
今年は君が初めてなんじゃないかな。
大当たり〜! (*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ」
私「そんな大当たりは全然嬉しくないですよっ!!」
何で私は診察中にツッコミいれてるんだろう…?(笑)。
私「じゃあ先生、もうテグレトールは飲めないんですか?」
医「僕からはもうこの薬は出せません。
カルテにも一目で分かるように『禁止』って既に書いちゃったし」
視線をカルテに移すと、確かに赤字でデカデカと書かれていた。
そしてT医師を見ると困った顔をして考えていた。
医「どうするかなぁ…。う〜ん…。取り敢えず前の処方に戻そうか」
私「はい。リーマスによる手の震えがまた出てきちゃってるんですけど、
まだ我慢できる程度なので、もうダメだぁってなったらまた言います」
医「もう(薬の)選択肢がないでしょう。
ちょっと酷なこと言うようだけど、手の震えは我慢して飲んで」
私「はい…」
これ冷たく言われたわけじゃないんですよ。
その場の雰囲気って文字じゃ伝わらないから難しいかもしれないけど。
「我慢して飲んで♪」とか「我慢して飲んで。(^-^)」って感じかな。
私はそうやってハッキリ言ってくれちゃうトコが好きだったりする。
私がリーマスの話を出したのは、飲むのをやめたいという主旨ではなく、
手の震えを止める薬を処方して欲しいという主旨だった。
「選択肢がない」ってことは、私も大いに分かっている。
リーマスがなくなったら、飲む薬がホントになくなってしまうのだ。
テグレトールは期待していた薬だったけれど、
今まで飲んだ薬の中で最も重大な副作用が出てしまった。
せっかくT医師と2人で、副作用が出ないようにお祈りしたのに。
人生ってうまくいかないなぁ…。(ー'`ー;)
この日の診察待ちの時間は2時間で長かった。
でも終わってみれば自分の診察時間も30分。
自分も大いに待ち時間を延ばしてる人間だよなぁと
後の人に少し申し訳なくなった(汗)。
家に帰ってネットで調べてみたら、
『風疹以外にも同じ様な症状を示す
ウイルス感染症(感冒性発疹)がありますので、
確定診断には血液中の抗体を調べる必要があります。』
という記述をみつけた。
私はこれだったんじゃないかと思う。
内科の医師が「特定できないウィルス感染は珍しいことではない」
と言っていたのも納得できた。
するとやっぱりT医師の
「テグレトールの副作用で白血球が減り、抵抗力が弱くなったことで、
通常なら感染しないウィルスに感染してしまったのではないか?」
という考えが1番有力な気がする。
ウィルス感染の症状で診察してもらった医師は3人いたけれど、
その3人全員が、テグレトールの副作用の影響は薄いと言っていた。
確かに目に見える症状の発熱、発疹などは
ウィルス感染による症状だったわけだから、それは正しかった。
「白血球の減少」が「入院」なんて言葉が出てくるほどの
大きな症状だったわけだけど、内科の医師も、皮膚科の医師も、
それにテグレトールが関与するなんて、
全く頭になかったんだろうなと思う。
専門外のことだから知識もないわけだし。
だから、もし始めに診察してもらった医師から
「一応飲むの止めましょう」って言われなかったらと思うと…恐ろしい。
白血球が減り続けて、
無菌室に入院しちゃってたかもしれない。\(>_<)/ギャー
最悪の事態にならなくてよかったなぁと、今になって胸をなでおろした。
2002年8月13日(火)
7月30日に再度行った、
風疹の抗体反応検査の結果を聞くために病院(内科)へ行った。
結果は想像していた通り、風疹ではないとのこと。
私は医師に、精神科の診察の際、
「テグレトールには白血球が減るという副作用があり、
それで抵抗力が落ちて普通なら感染しないような
ウィルスに感染したんじゃないか?」という見解が出たという話をした。
「すると医師は首をかしげて、その可能性も低いと思いますよ」と言った。
続けて「白血球の数が減ってすぐに感染するというのが
考えにくいですね。ウィルス感染自体で白血球が減ることは確かですし。
それにやはり精神科の先生は内科の知識はありませんから」と。
う〜む。じゃあホントにたまたま何だか分からないウィルスに
感染しちゃっただけなのかなぁ…?
でも医師は今日もキッパリ
「その薬を飲むのは止めた方がいいです」という助言をくれました。
簡単に言ってくれちゃうから小さくムッ。
テグレトールは関係なかったというのに、
それでもそこまで「飲まない方がいい」って言う理由を
私が納得できるように教えてくれー。
(きっと飲んでもし何かあった時のリスクが大きいからだろう、
と精神科の主治医は言っていた)
あたしだって飲まなくて平気なら、そんなに執着しないわよぉ。
私にとっては最後の頼みの綱だったんだぞー。ヽ(*`Д´)ノ
えぇ、内科の先生が悪くないことくらい分かってます…。(ノ_・。)クスン
2002年8月14日(水)
今日は精神科への通院日。今日の診察中、私は調子が落ちた。
思い出すとまた気分が沈むから、あまり書く気分にならないけれど、
この日記は通院記録でもあるから、頑張って書き残そう。
・・・・・・・・・・・・。やっぱり止める。テンションが下がってきた(汗)。
最低限のことだけは書いておこうっと。
テグレトール、また飲み始めるかもしれません。
ごくごく少量から始めて経過をみつつ慎重に。
気分が沈んだって言っても、
「たったそれだけのこと?」ってことなんです。
自分が1番分かってます。こんなことで落ち込んでバカバカしいって。
ただこのことで私は面白い(?)ことを体感しました。
同じ「気分が沈む」「テンションが落ちる」でも、
この時の私は「ストレス→鬱の症状が出た」んじゃなかったです。
「ストレス→気分の落ち込み」でした。
大きな違いはただ1つ。体が重くならなかった。
胃がキリキリして、頭の回転も鈍って、
改札に入れるカードを間違えちゃったりしたけれど、
ちゃんと歩けた。動けた。ダルくならなかった。うん、違った。
2001年9〜12月
2002年1〜4月
2002年9〜12月
2003年1〜4月
戻る
|