| **Yamai な日記 (2002年1〜4月)**
2002年1月23日(水)
5週間ぶりの通院だった。
先々週、先週と調子が悪くて行けなかったから。
でも、毎回のことながら昨日突然調子が良くなり、
今日もその波に乗れていた。
医師にこの5週間の状態を聞かれ、
「一昨日くらいまでは死んでたんですけど、
昨日また突然調子が良くなって、久しぶりに外出しました。
外に出ても音に反応して調子を崩すことは無かったし、
買い物とかしちゃって楽しくて、9月から鬱の時期に入ったけど、
それ以降では昨日が1番調子良かったと思います」って答えた。
続けて私は死んでいた時の話もした。
「情緒不安定で泣いてばかりいました。
テレビで泣いてる人をただ単に見ただけで涙がこぼれてきた時は
『私は今感受性が強まってて、影響を受けちゃったんだな』って
泣いた理由があると自分なりに理解したんです。
でもやっぱり突然、何にも理由がないのに、
悲しさや切なさや不安みたいなのが襲ってくるんです。
バラエティー見て笑ってたのに、5秒後には泣いてるって感じです。
そんなのが1日に3、4回ほど襲ってきました」
医師は「昨日良くなったのもやっぱり、何か嬉しいことがあったとか
特に理由があったわけじゃないんだよね?」と私に聞き、
「はい」と答えた。すると「今日のような君を見てると、
今時の普通の女の子に見えるんだけど、
そういう症状があるって所がやっぱり病気なんだよねー」って
笑いながら言われてしまった。私も思わず、
「改めて病人の烙印押されちゃったよ」って笑ってしまった(笑)。
ただ医師は続けて、
「この間の電話のときは本当に調子悪そうだったもんね。
受話器からひしひしと辛さが伝わってきて、
これは早く救ってあげなきゃって思ったよ」と言ってくれた。
(医師から「もし今度調子が悪くて通院日に来れない時は電話して。
薬のこととかあるし」と言われていた。その電話は先々週のこと)
笑いながら「君は病気だよー」って思いっきり言ってくれちゃって、
でも「治してあげる。薬が効かないのは俺の責任だから」って
フォローしてくれる私の主治医。固くないトコがいい。
私「もし状態が落ちることがなかったら、明日から少しずつでも
散歩したり家事したり、何かしら動こうと思うんですけど、
この病気って動きすぎた反動で鬱が来るらしいので
セルフコントロールが必要じゃないですか。
でもどこらへんまで頑張ってよくて、どこらへんからは
頑張っちゃいけないのか分からないので教えて下さい」
医「それはねぇ、ハッキリ言って
考えても無駄って言ったら無駄なんだよね(笑)。
何故ならそのブレーキが利かなくなるのがこの病気であって、
それが正常に出来るんだったら問題ないんだから。
セルフコントロールしようって気持ちは勿論いいことなんだけど、
もしその心掛けで元気な、軽躁な時期を過ごして
その後にまた鬱がやってきてしまったとしたら、
『上手くいかなかった』って自分を責めてしまって逆効果にもなる。
だから君はもう、その自覚があるだけで十分だから」
「なるほどー」と、かなり納得してしまった。
そうだよなー、自分で分からないから病気なんだよなー。アハ(笑)。
2ヶ月ほど前、待合ロビーで診察を待っているとき、
今まで何度か見かけたことがある5歳ほど年上の女性に
軽く話し掛けられたことがあった。
そして今日その女性に久しぶりに会い、目が合った時に私の方から
「こんにちは」と挨拶してみた。
すると「隣りいいですか?」と彼女は横に座り、30分ほど話をした。
通院を始めて約5ヶ月。初めてお近づきになれる人ができた。
彼女は強迫観念症で手を洗わずにはいられないと言っていた。
クセなのだろうか。手を頻繁にこすっているのが見受けられた。
優しそうで綺麗なお方。また会ったらお話したいなぁと思う。
2002年2月5日(火)
この間ちょっと不思議な体験をした。
その日何をしてたわけでもないのに、
家でただのんびり過ごしていただけなのに、
なんか幸せだった。なんか楽しかった。
ちょっと考えてみて、それが何故だか私は分かった。
辛くないから幸せなんだと。苦しくないから楽しいんだと。
そう。プラスな状態だから幸せを感じたんじゃなくて、
ゼロだから、マイナスじゃないから幸せを感じたんだ。
いや、もしかしたら軽躁で頭がバカになってただけかも。アハ(笑)。
私の調子悪さには理由が無いことがとっても多いから、
「仕事が大変だよー」とか「あの友達ちょっとムカつくんだよー」とか
そうやってグチって楽になることはない。
「何で苦しいんだよー。何で悲しいんだよー」
こんなグチは余計に鬱になってくる(笑)。
調子が良くなりつつある今でもまだ、鬱に悩まされる時は多々ある。
だからこそ、ゼロな状態での幸せは貴重なものだった。
2002年2月9日(土)
夕方、友達から「今から会える?」と久しぶりに電話がかかってきた。
その友達とは今では少し距離を置くようになってしまっている。
何故なら、宗教にしつこく勧誘してくるから。
でも毎回毎回私は拒んでいるし、
彼女が宗教に入る前は普通に楽しく話せる間柄だったから、
今回はそういう話なしで普通に話せるかな?と思って会うことにした。
しかーし!私の考えは甘かった(笑)。
最初の数分は近況を話していたのだけど、
やっぱり彼女の口から勧誘の話ばかりが出てきた。
彼女は私が躁鬱病だということを知っている。
2ヶ月くらい前、彼女から電話がかかってきた時
私はひどく調子が悪くて、殆ど話せなかった。
なので彼女から「あの時もう和希が死んじゃうんじゃないかって、
すごく心配したんだよー」と言われた。
こういう風に心配してくれるのは嬉しいんだけど、
しつこく誘われるのは、さすがにウザったい。
確かに彼女は入信してから前向きで明るくなった。
だからそのこと自体を私は否定している訳ではない。
ただ私には入信したいという気持ちがないのだ。
最終的には「病院に行っても根本から治ることはないんだよ。
これ(宗教)やれば絶対に良くなるのに、やらないなんてバカだよ」
とまで言われてしまった(笑)。
そのことともう1つ、気になったことがあった。
彼女は私が病気になったことを「不幸」だと感じているらしい。
「なっちゃったんだから仕方ないよ」って私が言うと、
彼女から「は?何言ってんの?病気で頭おかしくなっちゃったの?」
という言葉が返ってきた。
それだけじゃなく、あまりにもカワイソウな言われ方をされるので、
思わず「でもこの病気になって良かったことも沢山あるよ」
って言おうとしたけど、それこそ奇人変人にされると思ったので
言うのは止めた(笑)。
私はその後、出かける用があったので
最初から会える時間は1時間だと決まっていた。
なので、そそくさと彼女とはサヨナラし、用がある六本木へと向かった。
六本木。大人な街すぎて、私には合わないなぁと来る度に感じる(笑)。
用があるから何度か訪れたことはあっても、
六本木へ遊びに行ったことは1度もなーい。
私にはドキドキしちゃう街である。
私には大きすぎる夢があって、その学校が六本木にある。
学校といっても小さな小さなものだし、授業という形じゃない。
(これだけじゃ謎ですね、笑)
3年前そこに通っていて、
今ではたまに調子が良いときに顔を出してる感じ。
私は9ヶ月ぶりに学校の先生に会いに行った。
65歳くらいのちょっと変わってる先生。
「嫁に出した娘が帰ってきたみたいだ」って
私が顔を出したことを喜んでくれた(笑)。
躁鬱病だということが分かったと話すと、
「だからどうした?」って感じで一蹴された(笑)。
それはこの病気の大変さを分かっていないから出た言葉ではなく、
「病気だからって特別なわけじゃない」という
私を安心させるための言葉だと分かっているから有り難かった。
あと、親しくさせてもらっているHさんという女性の方にも
自分の病気のことを打ち明けた。
Hさんは薬剤師をしていて、「仕事柄、そういう病気の方を
目にする機会は結構あるけど、和希みたいに明るい人
滅多にいないわよ。貴重よ貴重」と、重宝がられた(笑)。
近くにいたOさんに「貴重な人に出会えてあなたもラッキーよ」
とかってHさんは言ってた(笑)。
自分自身は「病気は個性だ!」って思っていたけどこうやって
自分以外の人からそう思われたのは初めてで物凄く嬉しかった。
「病気」だから敬遠される訳じゃなく、「病気」だから重宝がられた。
やっぱり私って幸せ者だなー。
久しぶりにお酒を飲んだし、ホントに楽しい一時だった。
2002年2月27日(水)
調子がまた下降してます(涙)。
今日はずっと会いたかった友達との約束があったのに、
キャンセルしてしまいました。せっかく1年ぶりに会えると思ったのに。
メールの返事も溜まってきました。ハァ…(溜め息)。
4ヶ月も苦しんだのに、
元気な時期が1ヶ月しか持たないなんて悲しすぎます。
今年こそはお花見したいんです。
せめて桜が咲く時期までは持ちこたえて欲しい。
2002年3月6日(水)
今日は通院日で、何とか気力をふりしぼり病院に行ってきた。
ただ「化粧なし・コンタクトなし」までランク落ちしての外出(汗)。
しかもバスの中でポロポロ涙が、病院の待合室でもポロポロ涙が。
ハンカチ片手に人目もはばからず泣いてる姿…。あぁ虚しっ。
でもやっぱり診察室の中で1番泣いてしまった。
私「疲れが溜まらないように、予定は3、4日に1回って
セーブしたつもりなんですけど…」
医「この病気は自分でコントロールできないからね。
責める必要はないよ。
やっぱり今回も調子悪くなった原因とかってないんでしょ?」
私「はい。ないです…」
とうとう薬を替えることになった。何故「とうとう」なのかというと
1ヶ月ほど前にもこの話は出ていたのだけど、
私の拒否意見に医師はOKしてくれて替えなかったのだ。
何故私が拒否したのかというと、
今飲んでる薬よりも副作用が出やすいと言われているので
飲むのが怖かった。
今は飲んでないパキシルで私は副作用に苦しめられた。
その苦い経験がちょっとしたトラウマで…。
今日から飲む薬は躁鬱病の薬としては1番一般的な「リーマス」。
医「もし調子が良くなって何か質問があったら来週来てもいいからね」
私「それよりも、もし副作用が出て大変だったら来週来ようと思います」
そんな返しの言葉に先生は苦笑してた(笑)。
「薬増えるなら、今まで飲んでた薬を半分に減らして下さい」
なんていうお願いも考えたあげく許してくれたりと、
医師はホントによく私の意見も聞いてくれる。
待ち時間が長かったときには「待たせちゃってゴメンネ」と
まず最初に必ず言うトコも好感が持てる一因だな。
とにもかくにもこれから2週間、副作用が出ないかドキドキものだ。
2002年4月5日(金)
私の投げやりはODの逆。
「どうせ飲んだって」と薬の服用を拒否してしまう。
ODとは違って危険はないからその点はいいけれど、
でもやっぱり治療の放棄はしちゃいけないよ。
そう思うでしょ? 自分でもさ。
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