| **Yamai な日記 (2001年9〜12月)**
2001年9月5日(水)
先月上旬、保健所で行っている相談窓口を利用して、
精神科医さんに1時間ほど話を聞いてもらった。
そのとき私は「躁鬱病ではないか」と医師から言われ、
病院に通うことを本格的に考え始めた。
医師に病院探しの相談や質問をしていたら、
「別に宣伝してる訳じゃないけど、俺がいる病院に来てもいいよ」
と言われ、気が合いそうな医師だったのでその病院に通うことにした。
そして今日から通院が始まった。
その時の医師が私の主治医になり、やはり躁鬱病と診断された。
私は薬に抵抗感を持っているが、
この病気は薬物治療が中心なのだと説明を受けた。
主治医は私の不安感を考慮して、少量の薬から始めてくれるらしい。
そしてバレリン100mg×3の服用を開始した。
2001年9月16日(日)
調子が良くなって「働けそうだ!」って気持ちになると、
また突然「鬱モード」が私を襲って、その希望が掻き消される。
もう何度、この繰り返しを味わってきただろう。
言い知れぬ挫折感。見えかけた光が消える喪失感。
「『希望』って言葉なんて、『希(まれ)』な『望み』だし」って、
ネガティブ思考に陥ってしまう。あぁ、ダメだ、ダメだ。
自分の気持ちを軽くするために言い訳させて下さい。
「理由」じゃなくて「言い訳」だって分かってるんで、
「言い訳並べてんじゃないよ。このダメ野郎!」
って思ってもらっていいです。
でも、直接言葉で言われるとかなり凹むので、
心の中に留めておいて下さい。
そこんとこ、よろしくお願いします。
最近、自分が「無職」であることが、とっても悲しくなってきた。
「無職」であることが恥ずかしいという気持ちや、
収入ゼロで生活が苦しいことは、ずっと昔からあったことで、
最近「無職」であることが悲しいのは、
自分が「仕事も出来ない無能な人間」だと、つくづく情けなくなったから。
みんな楽して働いてるわけじゃない。みんな頑張って仕事してる。
それなのに、自分は仕事してなくて、無職で、
それを病気のせいにして…。
「本調子な私だったら絶対に仕事できるのに」
「怠けて働くことから逃げてるんじゃない」
「バイトしてる時の仕事ぶりはちゃんとしてるよ」
こんな言い訳がグルグル巡って、
そんな言い訳を考えてる自分がまた情けなくて仕方ない。
鬱になって、バイトを突然休んで、
今までに何度、人に迷惑をかけてきただろう。
もう迷惑をかけるのはイヤだ。
ハァ〜。お気楽主義!な私にもやっぱり限度があって、
現実見つめたら情けなくて泣けてくるし、
将来見つめたら不安で仕方なくなってしまう日もある。
今日はそんな日。自分にダメ出しする日。
でも大丈夫。だって私はやっぱりお気楽な、
アホ万歳!主義だから(笑)。
2001年9月26日(水)
調子悪いです。悪いんです。
鬱の時期に入ったことプラス、病気のことで私の前に今、
大きな大きな壁が立ちはだかったからです。
昨日今日の調子悪さは、後者のことが大きいです。
今の私はお気楽さがかなり減少しています。
「楽観主義」「アホ万歳!主義」のこの私がです。
私の病気、いつかは「治る」と思っていたんです。
薬がなくてもやっていけるようになるって、思っていたんです。
でも、「一生治らない」、この可能性が大きいと知って、
私はかなり凹みました。かなりひるみました。
未来が今まで以上に暗くなっちゃいました。
とはいえ、それは私が重症だからではありません。
私は軽症だと思います。
「躁鬱病」が、そういうものらしいのです。
自分が不幸だとは思っていません。
ただこの現実に、私は今つまずきました。
それだけなんです。ホントにそれだけ。
私はきっと、この壁を乗り越えます。
乗り越えるしか道はないからです。
前向きに考える要素だってありますし。
けど、私はそんなにすぐには立ち上がれません。
だから、今は落ち込まさせて下さい。
今ぐらいは落ち込まさせて下さい。
ちゃんと、立ち上がりますから。
可能なら現実逃避がしたいです。知らない土地でボーっとしたいです。
そして24時間、誰かから抱き締めてもらいたいです。
「逃げ」じゃなくて、「乗り越えるパワーを養う」ために。
自分でも分かってます。
壁と言ったって、そんな大した物じゃないんです。
「死」を宣告されたわけでもないんですし。
でも、私にとっては大きなことなんです。
だから今は落ち込みます。下を向きます。涙も流します。
「一生の病気かもしれない」「一生薬を服用かもしれない」
私にとっては大きいんです。
そう言えば、自分の病気のことを
ちゃんと日記で書いたことが私は無いんですよね。
近く、書こうと思います。通院を始めたわけですし。
2001年10月22日(月)
一昨日泣いて、昨日も泣いて、そして今日も泣いた。
きっと明日も泣くんだろうな・・・。
躁鬱病と一生闘っていく覚悟は出来たのに、涙がこぼれてくる。
何故だろう・・・。
躁鬱病は「完治」が無理でも「寛解」を目指すことは出来るからって
ちゃんと割り切ったのに、涙がこぼれてくる。何故だろう・・・。
その覚悟も割り切りも、ただの強がりなのかなぁ。
いや、今が鬱の時期だからだな。私は今弱ってるんだな、きっと。
ただやっぱり、私はもどかしさを感じてしまう。
鬱になる原因はストレスではないという事実に。
ストレスの無い日々を送っていたとしても、
鬱になってしまうという事実に。
自分で鬱を予防する為にできることが、かなり少ないという事実に。
薬が効かなければ鬱を繰り返さざるを得ないという事実に。
そしてやっぱり、病気の根本を取り除くことは出来ないという事実に。
それに加えて私は医師から「君は躁鬱の波が短いタイプだから
病状が安定するのに時間がかかるだろう」と言われた。
躁鬱病のサイトにも「躁鬱の中でも難治なタイプ」って書いてあったし。
彼氏いないどころか、
恋愛の「好き」って気持ちが分からなくなっている人間が
こんなことを考えてるなんて、笑われちゃうかもしれないけど、
結婚するのはかなり難しくなったなって正直思った。
一生ものの病気持ちってことだけでもかなりネックなのに、
それプラス、子供は作らなくても構わないっていう
人じゃなきゃダメだから。
「子供は絶対欲しい」って人とはもう絶対に結婚できない。
ただでさえ妊娠中って心不安定になるだろうに、
薬断って更に不安定になったらって考えたら怖い。
かといって、薬飲んで奇形児が産まれるのはもっと怖い。
ただ、躁鬱病でありながら結婚・出産した方はいらっしゃいました。
けど、出産後にホルモンバランスを崩し5回入院したりと、
簡単に話を聞いただけでも、かなり大変そうだと感じたのは確かで。
結婚は置いといても出産に関してだけ言えば、
少なくとも自分の固い意志と努力、そして周囲の助け無しでは
不可能なことだろうなっていうのが私の中の結論だったりする。
両親よ、孫の顔見せられなくてゴメンネ・・・。
自分よ、一生このまま孤独なんだろうな。アハハハハ・・・(涙)。
それでも私はやっぱり悲観的にはなりたくない。
躁鬱病は一生ものの病気だけど、進行性がある病気じゃないから
死に至ることがないっていうのは、病気の中ではメリットだし、
「世界は広いんだ。この世のどこかに、
こんな私と結婚してもいいよっていう
それはそれは奇特な人がいるかもしれない」という、
根拠の無い希望も捨てずにちょっとは抱いてるし(笑)。
でも・・・・・・
一昨日、昨日、そして今日も泣いてた自分がいる。
きっと明日も泣くんだろうな・・・。
2001年11月6日(火)
私は隔週で水曜日に通院している。
先週の10月31日は通院日じゃなかったのだけど、
31日までの1週間吐き気が酷くて苦しかったので、
救いを求めて病院へ行った。
原因はどうやら抗鬱剤パキシル。
医師は「副作用出ちゃったか。それは医師である僕の責任だから、
責めてくれて構わないよ」と、私に言った。
もちろん責めるつもりなんて全然なかった。
けど、そうやってわざわざ謝ってくれたことは単純に嬉しかった。
医師への信頼度アップだったりする(笑)。
案の定、胃薬を処方されたのだけど、
その日次の日と吐き気は改善されなかったので
医師の「苦しかったら薬の量を減らしてもいいよ」
という言葉に早速甘えて、パキシルを2錠から1錠に減らしてみる。
そしたら吐き気がなくなってイイ感じ。(^-^)
試しに2錠に戻してみたら次の日、前ほどではなかったけれど
再び吐き気がしたので、やっぱり1錠に戻した(笑)。
この2週間ほどは、鬱より吐き気に苦しまされてた感じだった。
ということは、鬱はだいぶ良くなってきたってことでもあって、
今回の鬱の峠は越したなって感じる。
徐々に普通の状態に戻っていくはずだ。
私は泣き虫な人間だけど、思い返すとやっぱり気分が落ちている時期は
情緒不安定だったなぁと思う。
何が悲しいというわけでもなく、
突然泣きたい衝動に駆られては泣いていた。
いっぱい泣いたのは落ち込んでるんじゃなくて、
病気のせいっていうのが大きいなぁって再認識した。
2001年11月7日(水)
今日は通院の日だったので、身支度をした。
先週までは化粧もコンタクトも体がダルくて両方ともしなかったけど
今日は2つともクリアで体調が良くなってるなぁと実感。
こんなことで鬱の指標を感じ取ってたりする(笑)。
もっと顕著に感じたのは家を出たとき。
「体が軽くなってる。歩けそうだ!」と運動の意味も込めて
病院までバスじゃなく電車を利用した。
家からバス停までは徒歩1分なのだけど、駅までは徒歩20分かかる。
バス利用だと片道210円、電車利用だと片道170円で
電車の方が安いので、普段は電車で通うことに決めているのだ。
収入ゼロの私にとっては、10円もバカにならないのである(汗)。
鬱状態のことを
「20kgの石を背負わされてる感覚」と表現したりするらしい。
今日の私は、石の重さが5〜10kgくらいに減っていたというところかな。
20分の距離を歩けている自分が嬉しくて、
駅までの道のりをニヤニヤしながら歩いていた。
すれ違う人々に、変人だと思われていただろうな(笑)。
診察でも、調子が悪かったここ1、2ヶ月は下を向いたままで
医師の顔を見て話していなかったけれど、
今日は前を向いて医師の顔を見ながら話す自分に戻れていた。
診察中に泣いてた自分じゃなく、
医師と微笑みあいながら話す時間をもてた。
私は病気になってから、小さなことで幸せを感じるようになった。
あまりに小さなことすぎて、
「クダラナイ。何でそれが幸せなことなの?」って
もしかしたら思う人がいるかもしれないけど。
そして私は今日、駅まで20分の距離を歩けたことに、
外を楽しく歩けたことに、診察中に前を向けたことに、幸せを感じた。
こんなレベルで過ごしてる私。バカにされちゃうかな(汗)。
でももし、一緒に喜んでくれる人がいたら私は嬉しい。
2001年11月11日(日)
躁鬱病は一般的に、完治しない病気だと言われている。
そして、生涯にわたる薬物治療が必要だと。
私は自分に関わる事柄は、たとえ厳しい現実でも知っておきたいタイプ。
分かりやすく言うと、もし癌になった時には告知を望むタイプなのだ。
でも、医師がそういう病気のリスクを患者に言うことは少ない気がする。
だから私は先月24日の通院日、自ら医師にこう言った。
「躁鬱病のこと調べたら、一生治らないってこと知りました。
始めはかなり落ち込んだけど、
今は一生闘って付き合っていく覚悟決めたんです。
完治は無理でも寛解目指すことは出来るからって、割り切りました。
でも、投げやりになったとかじゃなくて、1度ちゃんと受け止めて
でももし、薬飲まなくても大丈夫になったら
ラッキーだなって思ってるんです」
すると主治医は「そうやって思える人、なかなかいないんだよ。
だから君のこと、凄く尊敬するよ。本当にね」と、何度も褒めてくれた。
凄く嬉しかった。無職で鬱で、1日中家でボーっとしている人間だけど
褒められるようなことをしていたんだなと。
その日だったか、別の日だったか忘れたけど、
主治医にこう言われて心が軽くなったことがある。
「辛いときには辛いって言っていいんだよ。
君は感受性が強いでしょ。強いどころか強すぎるんだから」って。
またある時には「最近泣いてばかりなんです。
病気で感情が抑えられないからだよって言われて・・・」と私。
「泣きたいときに泣けるのはいいことだよ」と医師。
海援隊の「贈る言葉」の歌詞。
♪悲しみこらえて微笑むよりも、涙枯れるまで泣く方がいい♪
確かにその通りなんだよね。他人には簡単に言うくせに
自分は実行できてなかったりしてさ(汗)。
私は今、エピレナート(デパケン・バレリンと同じ)という気分安定薬と
抗鬱剤のパキシルを服用しているんだけど、
通院してる人って、4、5種類の薬を飲んでるイメージがある。
だからたぶん、薬が2種類だけの私って珍しい方なんじゃないかなぁ?
この間の診察時、「もっと薬を使った治療法もあるんだけどイヤでしょ?」
って言われて、「はい」と即答した。
今でも大いに薬に対する抵抗感・慎重さはあるからだ。
医師は私のそんな思いを知っているので、続けてこう言った。
「お互い納得のいく方法じゃないと意味がないからね」
医師との信頼関係は大切だというけど、
今のところ満足なのであった。(^-^)
2001年11月11日(日)
躁鬱病についての説明で
「躁鬱病の患者さんに特別な脳波の検査を行うと、
鬱状態では、脳の反応が鈍くなっていることが分かります。
つまり、気のせいでなく本当に『頭の回転が悪く』なっているわけです」
と書いてあった。
これに私が当てはまってると感じる事柄がある。
耳から入ってくる情報を読み取る=脳が話の内容を理解するスピードが
著しく衰えることがあるのだ。
ゆっくり喋ってもらわないと、話についていけない。
もちろん難しい会話をしてるわけじゃなくて、日常会話でだ。
そんな自分に直面した時は本当に情けなくなって悲しくなる。
出来て当たり前のことが出来なくなってる自分に出会ってしまったら、
やっぱり心が痛む。
例えばこれはきっと、事故や病気で身体が不随になった人が
抱く感情に似ている気がする。
そこに腕・足はあるのに、自分の意志では動かない。
意識せずに動いていた腕が足が、動いて当たり前だった体が
動かないと思い知らされる気持ちに・・・。
だからこそ逆に、当たり前のことが出来た時小さな幸せを感じられる。
「病気は個性だ!」、私はこの言葉が好き。
病気だから、病気になったから失ったものって沢山あるけど、
得られたものだって沢山ある。
鬱病は誰もがなりうる病気だけど、
躁鬱病は発症する体質を生まれ持ったって感じがあるらしいのだ。
私はそれを知った時、病気になる意味が私にはあるのかもって感じた。
その「意味」はまだ何か分からないけど、なんかそんな気がした。
身長が高くてコンプレックスを抱いてきた女の子が、
モデルやバレーの選手として成功して、
「その身長はあなたが成功するために生まれ持ったものなのよ」
みたいな。けど、もしかしてこれ、
楽天家を超えて妄想家になってる?(笑)
2001年11月21日(水)
今日は通院日だったのに行かなかった。行く気になれなかった。
せっかく鬱から浮上しかけたのに、また振り出しに戻ってしまった。
私が患ってる躁鬱病の鬱には発症の原因が無かったりするけれど、
ぶり返してしまったのは、ストレスが原因の鬱も併発してしまったからだと
自分では分析してたりする。
私は自分で自分を「生き方が下手な人間」だと感じる時があって、
私は「追われること」が苦手だったりする。
正しくは「自分で勝手に追われる立場を築いてしまう」だけど。
2週間くらい前から調子が少し良くなって、
私はそれまでに届いていたパソメールや掲示板の返事を
書かなければって思った。
「書こう」っていう気持ち程度なら問題ないのに、
私の場合「書かないと!」っていう義務感のようになってしまい、
ココロが追われて疲れてしまった。
ネットを繋いだ時、「日記書きたいな。チャットでもしようかな」と思っても
「そんなことする前に、返事を書くのが先でしょ。
返事も書かずに自分のやりたいことを優先するなんて失礼だ」
という思いが頭をよぎる。じゃぁ、返事を書けばいい。
でも、返事を書くのは凄く神経を使う。
文字として残ってしまうし、適格なニュアンスを伝えるために
一語一句言葉を選んで書くと、かなりココロが疲れる。
パソコンの前にいない時でさえも、例えばテレビを見ている時
「テレビ見てる時間があるなら、
この時間を返事を書く時間に費やすべきだ」
私が私に忠告してくる。
携帯メールはまたちょっと違った意味で疲れた。
携帯メールって、その場その場でやりとりしたりするから、
返事を早めに出さないと、「シカトされた」って、
相手が気分を害してしまうんじゃないかって、
返事の義務感にさいなまれる。
こんなことを書くと、私宛てのメールや掲示板のメッセージを
迷惑に感じているみたいだけど、絶対にそんなことはありません。
本当に本当に嬉しいし感謝しています。
メッセージをくれる人のことを大切にしてるから、大切にしたいからこそ
返事を書きたいと思うんです。それだけは分かって欲しいです。
実はリアル世界の心友に対しては
こういう義務感や脅迫感みたいな気持ちは起きない。
メールが届いても、返事を書く気が起きなければ
余裕で何ヶ月も放っておいちゃう。
何故なら、分かり合えている関係だから。
自分のペースで接しても、問題ない関係を築けているから。
その前に、あまり連絡を取り合っていなかったりもするけど(笑)。
それは心友としての絆が弱くなってるからじゃなくて、
強いからこそ出来ること。
1年に1回会うか会わないか、
2、3ヶ月に1回メールのやりとりがあるかないかでも、
相手のことを想う気持ちに変わりが無い関係だから。
でも、ネットで出会った人とはまだ親密さを築いてる段階。
だから、頻繁な交流が必要だと私は思ってる。
何より自分自身が、交流したいと思ってるし。
だからこそ、「返事を書くことが必要」だと感じてしまう。
本調子じゃない私は、ただちょっとだけ浮上しただけの私には
まだまだココロの余裕などなかった。
そして私は自分で自分の首をどんどん絞めてしまい、
また調子を悪くしてしまった。
そんな風に私はコントロールが下手で、メリハリをつけることが苦手。
それは今回のことに限ったことじゃなかったりする。
内容は違えど「追われて疲れる」、これが私のウィークポイントなのだ。
例えば簡単な例だと「時間に追われる」、私はこれが大の苦手。
ということで、私は自分のココロを守るために
自分勝手推進期間を実施することにした。
実際、だいぶココロが楽になった気がする。
もっと早くから実践すればいいのに、それが私の未熟な点なのだ。
鬱をぶり返したストレスの原因はそれだけじゃなくて、
ここ最近、遊びの誘いを断ってばかりで、それも痛かった。
せっかく誘ってもらったのに、
断ってしまって申し訳ないという気持ちは勿論のこと、
それ以上に痛かったのは、遊びに行けない自分の姿を実感したこと。
遊びたいと思えない・思わない自分のココロが凄くもどかしかった。
私にとって1番身近にある楽しいことは、
「友達と遊んで話すこと」だったりする。
だから「遊びたい!」って頭では思う。
でも、ココロを病んでる現実として
「遊びたくない。遊ぶことは今、疲れることにしかならない」
そういう悲しい答えが最終的に出てきちゃう。
ココロを病んだことない人ならきっと、
「遊びたいなら遊べばいいじゃん」って、簡単に言うんだろうな。
でも、こういう例を出したら、分かってもらえるのかなぁ。
例えば、肘を怪我して手術をした、
リハビリ中のプロ野球投手がいたとして、
彼は「投げたい!」って思っていても、
腕はまだ動かせないかもしれない。
少し良くなったからといって、焦って腕を使ってしまったら、
せっかく安定してきた肘を、また悪化させてしまうかもしれない。
私だってこれと一緒。
「遊びたいけど遊べない。遊びたいけど遊んじゃいけない」。
外に出れば、ココロが弱ってる私には、沢山のストレス要因が待ってる。
今の私なら、街の喧騒に反応して、ただ外にいるだけで苦しむだろう。
喫茶店に入れば入ったで、お客さんの話し声に反応して苦しむだろう。
そんな自分がもどかしいから、早く楽しいと感じるココロを取り戻したい。
いっぱいいっぱい笑いたい。「和希って元気だよね」って言われる
本来の自分に戻りたい。
今年中に復活を想定していたけど、振り出しに戻っちゃったことで
どうやら復活は年を越えそうだな。あーあー。自己嫌悪。
自己否定感が増す、今日この頃。
でもこうやって、上手に生きてく方法を探してくのさ!
そうそう、この間、早朝にコンビニへ出かけたとき、
入り口で黒人さんとすれ違った瞬間
片言の日本語で「おはよう」って話し掛けられた。
そういう風に外人さんから、すれ違いざまに声をかけられたことって
今まで生きてきた中で何度かあって、今回もいつもと変わらず、
私は「おはよう」ってニッコリ笑って挨拶し返した。
私は人見知りがないから、そういうことが躊躇わずにできる。
そうすると、相手の外人さんがちょっと驚いたりするんだよね。
日本人って、そういうのに慣れてないから、
シカトしちゃう人が多いのかなぁ?
なんて思ってたりするんだけど。
で、いったい何が言いたかったのかというと(笑)、
鬱の時でもそういう外向的な自分は変わってないって気付いたことが
ちょっと嬉しかったし、ネット以外での交流が、
ほんの一瞬だったけど楽しかったってこと!!
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